映画『二重生活』ーー理由なき尾行の快楽

門脇麦長谷川博己菅田将暉リリー・フランキーなどが演じる『二重生活』を見た。とても興味深い映画である。今回は短めに感想をかく。

 

あらすじ

 

直木賞作家・小池真理子の同名小説を、ドラマ「ラジオ」で文化庁芸術祭大賞を受賞するなど、数多くのドラマやテレビ番組を手がける岸善幸の劇場デビュー作として映画化。

門脇麦演じる大学院生が近所に住む既婚男性を尾行することで、他人の秘密を知ることに興奮を覚えていく。

大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する「哲学的尾行」を実践することとなる。

最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、たまたま近所に住む石坂の姿を目にし、石坂の姿を追う。

一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を、珠が尾行する日々が始まった。

主人公・珠役を演じる門脇は本作が映画単独初主演作。石坂役を長谷川博己、教授役をリリー・フランキー、珠の恋人役を菅田将暉がそれぞれ演じる。

(映画.comより)

 

考察

 

大学院生である門脇麦は論文の内容に困っていた。100人へのアンケートを提案するも哲学科のやることではないと一蹴される。その後、教授より提案された1人を徹底的に理解する「理由なき尾行」をテーマに採用する。正直とんでもない教授である笑。自分も大学院生だったのでわかるが、リリー・フランキー演じる教授がああいう面白いテーマ出してきたら冗談半分で乗るかもしれない。(まあやらないけど)人の人生は最低でも新書一冊かける程度には内容の詰まった思想があるという話もあるが、それを論文にさせるという自でいくすごいやつかもしれん笑。

 

そして尾行対象が案の定面白い設定で、妻子持ちで仕事も順調、莫大な遺産も引き継ぐセレブにも関わらず不倫を平気でする男なのである。そうこれが映画のテーマ、日常と非日常を営む「二重生活」なのである。

 

ちなみに不倫はすぐバレる。すぐにそういうドラマチックなシーンに出会えちゃうのが映画らしいが、まあでも愛すべきクレイジー哲学教授以外は割と全員普通な感じでとてもリアルだと思う。人は誰しもそれぞれの二重生活を営んでいるだろうし。

 

そして尾行していたことが対象からバレる。逆に尾行され追い詰められ論文を書くなと切り出される。涙ながらに論文を書かせてとすがりながらキスをし、その後対象と菅田将暉には言えないような情事に陥る。

 

ここが面白いのだが情事の時にパパーパパーって携帯が鳴ってやめてしまう。日常への揺り戻しだ。その後麦の告白が始まる。亡くなった父の代わりに励ましてくれた父の親友のことが好きで、恋人の菅田将暉にも伝えられない思いを持っていた。そう彼女も二重生活者だったのだ。

 

門脇麦が可愛いとか、尾行がスリリングというのもあるが(メタルギアソリッドシリーズの流行からもわかるように人は尾行・スニーキングに興奮する生き物である)、本作の良さは理由なき尾行によって暴きだされる生活の二重性である。単に日常を生きるだけでは足りないもの、深いところの哲学的な(超越)、空っぽを埋めてくれる何かを求めてやまない人たちの生活を垣間見てしまった浮遊感である。

 

でも長谷川博己は最後ちゃんと日常に戻って愛しい娘のところに行くんだよね。論文書けよと言い残して。ちなみに書いてないが教授も二ヶ月の偽装結婚をしていた二重生活者で、門脇の論文を楽しみにしているという。みんな二重生活のその後の救いというか、この後の生き方について悩んでいるわけ。なお門脇麦菅田将暉に別れを告げられながらもちゃんと「現代日本における実存とは何か」という修論を書き終えて日常に回帰して行く。

 

気になる論文の一節が以下の通り。

 

〝平凡で、穏やかで、裏切りも隠し事もウソもない。
ひたすら公平な愛だけで満たされている人生など、どこにもない。
人は苦しみからも逃れられない。
ほんの少し、その苦しみを軽くしてくれるもの。
きっと、それが秘密である。
理由のない尾行とは、他人の場所と立場に身を置くこと。
自分を他人と置き換えること。
すなわち、互いの人生、情熱、意志を知ること。
それは、人間が人間にとってかけがえのない存在となる、おそらく唯一の道ではないだろうか。〟

 

俺の修論よりめちゃくちゃいい内容で正直悔しい笑。結局みんなそうやって生活してるんだという気づきが救いになるのだと結論づける。最後の渋谷のスクランブル交差点がそれを表現している。雑多な透明な人々、でも彼らもそうやって二重生活をしてるんだろうなと想像できる。そうして自分と他人の境界線の揺らぎを感じつつ、実存を生きるのだ。

 

まあでも今の渋谷だからこそそういうのを表すのに最適になってしまった感あるよね。もっと前の援助交際とかが盛んな渋谷なら皆そんなん知ってるし(笑)みたいな感じなってたんじゃないかな。みんなの生活が見えなくなって、二重生活どころか、そうした次元を超えてきてしまったところに実存の揺らぎというか、自分が何者かわからなくなってしまった原因がある。もう少し前の普通の生活を知るというのはこれからの社会を生きるための術を得ることになるかもしれない。

 

 

結局長めに書いてしまった。つか全部電車が東西線なの親近感すごい笑